■百体観音巡りアルバム V


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東御市HP











■山の湯の町石造百体観音について・・・・
現在群馬県吾妻郡妻恋村の旧鹿沢温泉は、明治以前は信州分として、東御市(旧東部町)袮津に陣屋を置いた。旗本松平氏の所領であった。
江戸期、「加沢運之覚」の文書によると、年間の入湯者は千人から二千人程度で一人に三十二文の運上(税金)を課した。

■製作年代は・・・・
在銘にないものが少ないが51番に「天保8年申年8月6日」。90番に「慶応4年4月戊辰建」とあり1番に「明治巳歳3月10有9日」100番「明治巳歳秋8月辛西」とある。

■1番と100番の台座には「石工仲山暉雲」と刻まれているが、他には石工名は記したものがない。50番は明治6年田代と銘記され、これにまつわる伝説とロマンも数多くあると言う。


■現在、東御市(旧東部町)田中に居住する石工、掛川氏の話によると、4代前の三沢伊兵衛が伊奈の高遠から同僚数人と来住して天保5年「1834」から製作にかかった由である。

それらの子孫が石工を継ぎ鈴木氏、藪越氏、向山氏、伊藤氏、上野氏等が近年に定着した。




















■伝説とロマンの百体観音・・・・
時代をこえて、旅人に語りかける「百体観音」。
近年のブームで関西や東京方面からも巡拝する信心厚い人々も多くなって来ているとか・・
NHKの「甲信越・小さな旅」で放映され、また朝日新聞の全国版にも取り上げられ、大変有名になった・・・。
1番、100番は伊那高遠の名工「中山暉雲」の傑作で百体のまつわる伝説とロマンも数多く有る。

■時代をこえて、旅人にかたりかける「百体観音」・・・・
東部町在住の石仏・仏画の研究家「西川文美」氏がその感動と愛情注おいで、長年にわたりその尊いお姿を描き、その手造りで絵巻物」として1体毎のコメントして、世に出した・・。
(平成4年10月記・東御市からの資料より・・)


■東御市の資料から・・・・
東部町には、道祖神・石仏など江戸時代の石憎文化財が多い.そのうち新張から地蔵峠をえて旧鹿沢の湯の至る間の山道4里の路傍には、1番から100番まで、百体観音像が、1町毎におかれている。これは町石(丁石・路傍煮立てて1町毎に道程を印した石)と観音信仰を兼ねたものでる。又、この道が峠越えの道であるとともに、湯治場への道である事に特色がある。

■百体観音全建立は・・・・
この百体観音造立が計画されたのは幕末の文久4年(1864)で百体全ての建立がなったのは明治6年(1873)である。
勧化帖によると、発願人は鹿沢温泉の楢原所右衛門らで、世話人は新張村中でる。資金寄付者の分布は地元だけでなく、広く他府県まで及んでいる。


■観音霊場・・・・
西国33ヶ所、板東33ヶ所、秩父34ヶ所併せて100ヶ所の観音霊場を巡り功徳をつかんだ巡礼が、のちには寺院の境内など一ヶ所に100ヶ所結願(けちがん)の功徳を得るという事が行われる様になった。
東部町の指定文化財となっている祢津東の「大日堂境内」の木造百体観音像もこれであり。この地蔵峠の石造百体観音像も同じ意味あいを持つと言われたいる。



貴重な民族資料
この百体観音は、険しい峠を越える湯道(4里)の湯道に百体観音を配置して、湯治の効果にあずかろうとした発想は、卓抜なものがあり、全国手に例をみない貴重な民族資料でもあります。(東部町誌歴史編・下から・・)

■新道に移される・・・・
百体観音は、旧道から車の通る新道に移されており、近年は盗難などにあい、紛失してしまっているものもある。新しいものがいくつか補充されてもいる。
80番が頂上であり、81番以降は嬬恋村に属している。なお・・・鹿沢温泉は、明治初期までは
祢津領であり、信州分であった。



3年がかりで復元・・・・・・S・57・7月頃・・・・
戦後、心ない人々に依り30数体が紛失したが、この度東部町と嬬恋村の観光協会が地元の名工、山崎佐一郎氏親子に依頼し、3年がかりで地元産の良石を選び古式にのっとる手彫りで彫刻復し、全国の信心厚い人々に依り寄進されたものである。S・57・7月記

山の湯道・伝説とロマン・百体観音・西川文美・制作から(東御市役所からの資料から


■百体観音について・・・・・
1番 如意輪観音 51番 不明
2番 十一面観音 52番 不明
3番 千手観音 53番 不明
4番 十一面観音 54番 千手観音
5番 千手観音 55番 聖観音
6番 千手観音 56番 聖観音
7番 如意輪観音 57番 聖観音
8番 聖観音 58番 不明
9番 千手観音 59番 不明
10番 聖観音 60番 如意輪観音
11番 千手観音 61番 不明
12番 千手観音 62番 不明
13番 聖観音 63番 如意輪観音
14番 如意輪観音 64番 聖観音
15番 聖観音 65番 千手観音
16番 千手観音 66番 聖観音
17番 聖観音 67番 如意輪観音
18番 如意輪観音 68番 聖観音
19番 千手観音 69番 不明
20番 千手観音 70番 馬頭観音
21番 聖観音 71番 聖観音
22番 千手観音 72番 不明
23番 十一面観音 73番 聖観音
24番 十一面観音 74番 不明
25番 千手観音 75番 不明
26番 千手観音 76番 千手観音
27番 如意輪観音 77番 不明
28番 聖観音 78番 不明
29番 馬頭観音 79番 千手観音
30番 千手観音 80番 聖観音
31番 十一面観音 81番 十一面観音
32番 千手観音 82番 聖観音
33番 83番 聖観音
34番 十一面観音 84番 千手観音
35番 不明 85番 不明
36番 聖観音 86番 不明
37番 千手観音 87番 千手観音
38番 聖観音 88番 如意輪観音
39番 千手観音 89番 十一面観音
40番 准胝観音 90番 聖観音
41番 千手観音 91番 聖観音
42番 十一面観音 92番 千手観音
43番 聖観音 93番 十一面観音
44番 不明 94番 如意輪観音
45番 聖観音 95番 背観音
46番 聖観音 96番 聖観音
47番 如意輪観音 97番 十一面観音
48番 十一面観音 98番 十一面観音
49番 十一面観音 99番 不明
50番 馬頭観音 百番 千手観音

















■新張の1番は・・・
如意輪観音で「西国壱番」とあり。これより33番までのうち、3分の1程は西国霊場の各種観音像の順序と符号している。34番以降の順番は、板東、秩父のそれとの一致はみられない。ここで見られるのは観音像の種類は、如意輪・十一面・千手・聖・准胝・馬頭の6種類である。

■仲山暉雲
これらを彫った石工は1番と100番は高遠の仲山暉雲でる事が刻銘より分かるが、その他は不明である。高遠石工の作品は、関東信越一帯に広がている事知られている。


■町石・・・
町石は、霊場に参拝する人のために道標として作らた。古くは鎌倉時代に和歌山県高野山を始め数例が知られている。1町ごとに自然石または5輪卒塔婆形笠塔婆形の石を建てて、道標とするが、ここの湯道は町石は石彫の観音像
である所に特色がある・・。


■百体観音・・・・
百体観音は旧道から車の通る新道に移されており、近年は盗難等にあい紛失してしまったものも有るが・・新しい物がいくつか補充されている。


■山崎佐一朗氏親子・・・・・
戦後心ない人々に依り30数体が紛失したが・・・この度、東部町と嬬恋村の観光協会が地元の名工、山崎佐一朗氏親子に依頼し30年がかりで地元の良石を選び古式にのっとる手彫りで彫刻復元し全国の信心厚い人々に依り寄進されたものである。昭和56年7月「山の湯道・伝説とロマン・百体観音」

西川文美/製作から・の・・・・記事を転載しました。(東御市役所から送っていただいた資料から・・・2007年4月22日記